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新聞記事に署名が多く入るのはここ20年のこと ― 磯野 彰彦 教授

磯野 彰彦(いその・あきひこ) 教授

昭和女子大学キャリア支援部長兼キャリア支援センター長。グローバルビジネス学部ビジネスデザイン学科教授。
2011年春、32年間勤務した毎日新聞を退社し、昭和女子大学に転職。「ジャーナリズム」から「アカデミズム」の世界に飛び込み、戸惑いながらも主としてキャリア支援業務に従事している。

※この記事は2018年11月12日に昭和学報に掲載されたものです。

署名を出せば逃げ場がなくなる

その記事は、今年の11月5日の毎日新聞朝刊6ページ(メディア面)に掲載された。1990年代にいくつかの新聞社が記事に署名を入れる動きを見せたことをまとめている。見出しは「客観報道と責任明確化の間/90年代 署名記事化の動き」。記事の後半に私の「(新聞の)客観・中立なんて本当にあるのかという疑いは持っていた。無署名では自分だけ安全な場にいるような気がしていた一方で、署名を出せば、逃げ場がなくなる怖さや伝えることの責任を感じた」というコメントが載っている。
なぜ私が取材されたかというと、私が1997年2月6日の毎日新聞朝刊「記者の目」欄で、前年の4月に毎日新聞が打ち出した「署名多用化」を取り上げたからだ。その中で私は「責任を取ろうと言う姿勢を明確に読者に伝えることだ。署名で新聞はますます面白くなる。そう確信している」と書いた。
署名記事を増やす流れでは、毎日新聞は先鞭をつけたと言われている。私の「記者の目」はその流れに乗ったもので、当時、私は経済部の一記者にすぎず、21年後の今、読み返すと気恥ずかしい限りである。

1996年11月30日発行の毎日新聞労働組合の機関紙「奔流」の一部。 「署名記事化が新聞を救う」の記事の中で、 磯野教授による現場報告が記事になっている。

戦後は客観中立を掲げ、無署名が当たり前

昔を振り返ると、戦後、日本の新聞は「不偏不党」と「客観中立」を掲げ、記事は「無署名」が当たり前だった。しかし、米国などでは記事に「バイライン(署名)」をつけるケースが多く、「〇〇記者の記事だから読む」という読者もいる。
欧米のまねというわけではないが、「読者との距離を縮める」あるいは「責任を明確にする」ために署名は欠かせないと考えた。
もうひとつ。「〇〇取材班と入れるのは意味がない」とも主張した。最終回に「〇〇取材班は誰と誰」と書き込むならまだいいが、「取材班」だけでは、誰が書いたかわからない。
「新聞は誤報を認めようとしない」「メディアスクラム(多くの報道機関が取材先に殺到すること)で迷惑を受けている人がいる」といった声を時々耳にする。署名を入れることで、そのようなことが少しは減らせるのではないか、とも考えた。

「〇〇筋が明らかに……」もやめよう

新聞やテレビのニュースを見聞きしていると「政府首脳」とか「政府筋」とか「政府高官」といった単語が出てくる。官房長官は原則として毎日2回、記者会見を開くが、それとは別に「番記者」(官房長官担当の記者)を集めて「オフレコ」(オフ・ザ・レコード。直接引用はしないというルール)取材に応じることがあり、そこで話した内容は「政府首脳が〇日明らかにした」といった報道になる。
私は当時、「〇〇筋も出来るだけやめたらどうか」と社内で話していた。記事の署名化と併せて、取材源も極力明らかにすべきだと考えていたからだ。しかし、報道の世界では「ニュースソース(取材源)を秘匿する」というルールもあり、現実には難しいところがある。
いま新聞(ウェブ版を含む)を読むと、少し長めの記事や解説、連載企画には署名を入れるのが当たり前になった。
毎日新聞は連載の中で、記者の名前だけでなく、年齢を入れたことがある。また、記事中に「私は」という表現が出てくることもある。情報の送り手である記者と、読者との距離は確実に近づいている。

記者の顔が見える時代。同時に責任も問われる

ここ数年、記者個々人がツィッターやブログで自分の考えを発信することが増えてきた。たまに「炎上」(インターネット上で批判が寄せられること)するケースもあるようだが、それはそれで人間らしくていいと私は考えている。
学生の多くは新聞を購読していない。テレビのニュースもあまり見ておらず、インターネットで配信される短い記事を読む程度のようだ。そうした現実を直視しながら、これからも「ニュース(記事)の読み方」を学生に伝えて行けたらと考えている。

新人記者時代の磯野教授